コロンビア、メデジン市にて。都市について考えたこと。

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コロンビア共和国メデジン市。今セメスターのスタジオがコロンビアの建築家ジャンカルロとカミロ(二人とも有名な方達ですが、親しみを込めて敬称割愛させていただきます) の指導のもとメデジンを取り上げており、studio trip(現地視察という名目の旅行ですねw)でやって来ました。

メデジンは麻薬カルテル、ゲリラ組織、パラミリタリー組織の抗争が繰り広げられた暗黒の歴史を持つ都市で、貧困層の住む地区など一部の地域では今でも緊張感の漂う街です。パブロ・エスコバルの組織したメデジンカルテルや、反政府ゲリラ組織FARCなんかはご存知の方も多いと思います。この内戦はコロンビア全土に及び、特に農村部において大量の難民を生み出し、結果としてメデジン等の都市部に大勢の人たちが流入してきました。メデジンは東西を山脈が走っていて谷のような地形をしているのですが、この山肌に難民となった貧困層の人々がそれぞれ自分で家を作り(勿論不法占拠で法的に土地の所有権はありません)、現在のレンガ一色のトポグラフィーに囲まれた都市の風景が形作られました。

そんなネガティブの最高峰のようなメデジンだったのですが、Metro de Medellinの開通、そして2004年に市長に就任した(現在はアンテオキア州の知事)Sergio Fajardoによる一連の政策によって生まれ変わりました。暴力の連鎖を断ち切るため、ファハルド市政は警察力ではなく教育と都市計画を重視し、特に貧困が深刻な市北部に重点的に投資しました。今回ファハルドと面会する機会があったのですが、dignityとhopeという言葉を繰り返し使っていたのが印象に残っています。非合法活動に身を落とさないでも貧困から抜け出せる知識と技能を提供すること、市民がメデジンで生きていることに誇りを持てるような街にすることが暴力という安易な選択肢を抑え込む力になると力説していました。実際に殺人や凶悪犯罪は劇的に減少し、2013年にはWorld Street Journal紙によって世界で最もイノベーティブな街として選ばれるほどの大きな変化をもたらした彼の言葉には説得力があります。

ファハルド市政の都市計画と一連の政策は互いに補完関係にあり、Integrated Urban Project(IUP) と呼ばれています。都市計画というと、マネージメントという概念を基礎とした近代プランニングが思い浮かびますが、メデジンはトップダウンによる大きな計画という手法は取りませんでした。その代わりに、1)それぞれの地区で戦略的なゾーンを設定し公共のプログラムを建築のスケールで挿入すること、2)地域の様々な立場の人たちをプロジェクトのプロセスに巻き込むこと、3)群島的に配置された公共建築を結びつける交通のネットワークを整備すること、4)建築のシンボリックな力を変革の政治的なメッセージを発するメディアとすること、5)それによって周辺の自主的な変化を促すこと、が基本的な戦略として設定されました。5)を実現するための1)から4)というわけです。

この方向性が採用された背景には、勿論近代計画学への反省という理論的な側面もあると思いますが、それ以上にメデジンの都市生成の歴史に起因するものが大きいと思います。メデジンでも人口の増加に伴い幾度かプランニングが都市計画のツールとして用いられました。(GSD繋がりで1950年台のJose Luis Sertによるプランは押さえておきたいです!) 市の中心部のグリッドはその当時の名残です。しかし、前述の内戦による人口増加は計画のキャパシティーをはるかに上回り、インフラや法的な枠組み(土地の所有権など)が整備されるのを待たずに主に周辺部の勾配のきつい地区でものすごい勢いで都市がボトムアップで構築されていきました。

このインフォーマルな都市生成のプロセスは、トップダウンで管理された都市とは違ったユニークな経済活動を生み出しました。それぞれの家屋は住民が自ら建設しているのですが、それぞれの経済力に合わせて段階的にバージョンアップしていきます。最初は粗末な気の壁+トタン屋根の小屋から始まり、貯蓄の代わりにレンガとセメントを少しずつ買い貯めていきます。材料が必要なだけ溜まったところで建て替えがスタート。レンガの壁+コンクリートのフラットルーフに。そして作り出された2階は新たな家屋の敷地として売りに出され、同じプロセスが4~5階建てになるまで続きます。

このプロセスを影で支えているのが、様々な建設材料を一個、一本、一すくいの単位で小売してくれる Deposito de materiales と呼ばれる小規模商店です。これらのコミュニティーにおいてレンガを買う=日本でいうところの仕事帰りに缶ビールを買って帰る、的な日常生活の一部なので、Depositoはコンビニ的な位置づけでしょうか。そして、Depositoは単なる商業活動の場ではなく、近隣におけるコミュニケーションの場として機能しています。例えば家を建てたい家族と建設技術を持ったお兄さん方を結びつけたり、同業者同士情報交換をしたり、など、建設が生活の一部になっているからこその光景ですね。

今回のスタジオでは、このDepositoに着目して、公共のインフラとなるような建築(というよりはシステム)を考えています。ご近所の単位で情報や経済活動のハブとなっているDepositoをネットワークとしてつなげることで、メデジン独特のインフォーマルな経済活動をサポートするだけでなく、知識や技能を共有したり(教育)、個々人により広範囲での経済活動を可能にする(モビリティー)ことで、社会的な階層を這い上がる力と機会を労働階級に提供することができるのではないかという提案です。(working classとかdeprived population的な単語ををもう少しセンスよく訳せる人、教えてください 笑) まだまだスタディーが足りなくて上手く説明できないので、プロジェクトの詳細についてはまた次に書こうと思います。

ちなみに、市の中心部は完全に近代化されていて高層ビルがニョキニョキしています。メキシコでも感じたのですが、発展途上国、というカテゴリーは少なくとも都市部ではもはや当てはまらないですね。

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