食と建築。一見関係のなさそうな二つのトピックですが、食糧生産から、流通、販売、消費までの一連の流れを観察すると、食というトピックの周りに独特の空間タイポロジーが成立しているという事が分かります。

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世界的な人口の増加とそれに伴う食糧需要の高まりは数量的な問題であるとともに、実は空間的な問題でもあります。例えばシーフード。寿司ブームとともに新興国での中産階級層の増加によって世界的に魚の消費量が増加していますが、天然魚の資源量は頭打ちであり、養殖による生産が増加しています。2010年には養殖魚の生産が初めて牛肉の生産量を上回り、2030年には世界の需要の60%は養殖によって賄われると推定されています。漁業がモビリティーテクノロジーの進化とともに発展したのに比べ、養殖業では農業と同じく土地(水上)利用と水資源の確保が重要な課題です。ちなみに世界の養殖生産の約58%は淡水魚養殖で、陸上で行われています。スケールがやばいです。でかいです。

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歴史的にみると、食糧生産の空間は産業構造の変化やスケールの増大によって都市の中から辺境へと締め出されてきました。先進国における第一次産業の空洞化なんかは何かと問題にされますが、要は生活空間として魅力がないんですよね。これを世界的な経済活動のリアリティーの中でどう考えるか。故黒川紀章氏は、農村は農産物を生産する近代的な都市でなければならないと1960年に農業都市計画を提案しました。

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それとも完全オートメーション化された無人のディストピア?

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いやー、これはちょっと建築家として悲しすぎるな。どっちかっていうと世界的な食糧生産事情はリアルにこっちよりだと思うけど。

今回のプロジェクトでは、養殖という水の産業のための都市を考えてみました。長くなるので詳細は省きますが、農地の塩害という問題に対して海水魚養殖を陸上に持ってきてしまおう!というビジネスモデルの提案を下敷きにしています。その大きなマスタープランを書いたうえでの、インフラ集積基地としての港町的な都市の提案です。養殖の生簀のグリッドのど真ん中に、そのグリッドのエッジをプログラムで建築化した都市として構想しています。稚魚の孵化場や集荷場、リサーチセンターなどとともに住居が集積しています。プログラムを一か所に集中させることで、一般的な分散型の農村では達成できない建築的な効果が生まれるのではないかと。黒川路線を引き継いだメガアーキテクチャーです。どうでしょう?

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Reference:

1.  Image: NASA – Cropland in Kansas, USA. 2. Aquaculture at Hainan China. Image: http://flightbiz.net/?attachment_id=42 3.Shrimp aquaculture practice in Madagascar. Image: http://www.unima.com/page_aquaculture.php 4. Image: 農村都市計画_ 黒川紀章建築都市設計事務所 5. Image: PSYCHO-PASS_Production I.G

 

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今、ベネチアに来ています。レムコールハースがディレクターを務めているビエンナーレ建築展が主な目的だったのですが、滞在中に思いがけずうれしい遭遇があったので、そちらを書こうかなと。

毎年この時期、7月の第三土曜日にベネチア最大の祭りであるFesta del Redentoreが開かれます。その起源は16世紀まで遡り、50,000人もの死者を出したペストの大流行の終焉を神に感謝する感謝祭として始まったそうです。パラーディオの代表作の一つであるChiesa del Redentoreはその当時に建てられた同じ所以を持つ教会です。

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この祭りのメインイベントは土曜日の午後11半から始まる花火の打ち上げ。サンマルコ広場やサンジョルジョ・マッジョーレに挟まれた運河の上から打ちあがるのですが、さすがは水の都、みなさん自分のボートの上から花火鑑賞です。しかも数が半端ない(笑)。大体6時くらいから集まりだし、各々持ち込んだ食べ物飲み物で酒盛りが始まります。日本の花見の場所取りと似てるかもしれないですね。8時くらいには運河がボートで埋まります。交通渋滞が起こります。

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ボートを固定するためにお互いの船と岸とをロープで結ぶのですが、お互い協力して作業することで初対面の人でもすぐに仲良く盛り上がっている感じはいいなと思いました。実際ベネチアの船での生活は普通の陸の上の移動よりめんどくさいです。目的地までたかだか50メートルもないのに歩いて行けなくて船探さないといけなかったり。でもそういう快適さみたいなものを犠牲にしてでも手に入れる価値のあるライフスタイルなのかなと。

こんなのみつけた。関係ありそうななさそうな…笑

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La cultura e cio per cui l’uomo, in quanto uomo, diventa sempre piu uomo.  Papa Giovanni Paolo II, 1980 (文化とはそれによって人が人として、真の人となる、そういうものである 教皇ヨハネパウロ2世)

だそうです。

ボートのおっちゃんたち、スイカありがとう。おいしかったです。

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コロンビア共和国メデジン市。今セメスターのスタジオがコロンビアの建築家ジャンカルロとカミロ(二人とも有名な方達ですが、親しみを込めて敬称割愛させていただきます) の指導のもとメデジンを取り上げており、studio trip(現地視察という名目の旅行ですねw)でやって来ました。

メデジンは麻薬カルテル、ゲリラ組織、パラミリタリー組織の抗争が繰り広げられた暗黒の歴史を持つ都市で、貧困層の住む地区など一部の地域では今でも緊張感の漂う街です。パブロ・エスコバルの組織したメデジンカルテルや、反政府ゲリラ組織FARCなんかはご存知の方も多いと思います。この内戦はコロンビア全土に及び、特に農村部において大量の難民を生み出し、結果としてメデジン等の都市部に大勢の人たちが流入してきました。メデジンは東西を山脈が走っていて谷のような地形をしているのですが、この山肌に難民となった貧困層の人々がそれぞれ自分で家を作り(勿論不法占拠で法的に土地の所有権はありません)、現在のレンガ一色のトポグラフィーに囲まれた都市の風景が形作られました。

そんなネガティブの最高峰のようなメデジンだったのですが、Metro de Medellinの開通、そして2004年に市長に就任した(現在はアンテオキア州の知事)Sergio Fajardoによる一連の政策によって生まれ変わりました。暴力の連鎖を断ち切るため、ファハルド市政は警察力ではなく教育と都市計画を重視し、特に貧困が深刻な市北部に重点的に投資しました。今回ファハルドと面会する機会があったのですが、dignityとhopeという言葉を繰り返し使っていたのが印象に残っています。非合法活動に身を落とさないでも貧困から抜け出せる知識と技能を提供すること、市民がメデジンで生きていることに誇りを持てるような街にすることが暴力という安易な選択肢を抑え込む力になると力説していました。実際に殺人や凶悪犯罪は劇的に減少し、2013年にはWorld Street Journal紙によって世界で最もイノベーティブな街として選ばれるほどの大きな変化をもたらした彼の言葉には説得力があります。

ファハルド市政の都市計画と一連の政策は互いに補完関係にあり、Integrated Urban Project(IUP) と呼ばれています。都市計画というと、マネージメントという概念を基礎とした近代プランニングが思い浮かびますが、メデジンはトップダウンによる大きな計画という手法は取りませんでした。その代わりに、1)それぞれの地区で戦略的なゾーンを設定し公共のプログラムを建築のスケールで挿入すること、2)地域の様々な立場の人たちをプロジェクトのプロセスに巻き込むこと、3)群島的に配置された公共建築を結びつける交通のネットワークを整備すること、4)建築のシンボリックな力を変革の政治的なメッセージを発するメディアとすること、5)それによって周辺の自主的な変化を促すこと、が基本的な戦略として設定されました。5)を実現するための1)から4)というわけです。

この方向性が採用された背景には、勿論近代計画学への反省という理論的な側面もあると思いますが、それ以上にメデジンの都市生成の歴史に起因するものが大きいと思います。メデジンでも人口の増加に伴い幾度かプランニングが都市計画のツールとして用いられました。(GSD繋がりで1950年台のJose Luis Sertによるプランは押さえておきたいです!) 市の中心部のグリッドはその当時の名残です。しかし、前述の内戦による人口増加は計画のキャパシティーをはるかに上回り、インフラや法的な枠組み(土地の所有権など)が整備されるのを待たずに主に周辺部の勾配のきつい地区でものすごい勢いで都市がボトムアップで構築されていきました。

このインフォーマルな都市生成のプロセスは、トップダウンで管理された都市とは違ったユニークな経済活動を生み出しました。それぞれの家屋は住民が自ら建設しているのですが、それぞれの経済力に合わせて段階的にバージョンアップしていきます。最初は粗末な気の壁+トタン屋根の小屋から始まり、貯蓄の代わりにレンガとセメントを少しずつ買い貯めていきます。材料が必要なだけ溜まったところで建て替えがスタート。レンガの壁+コンクリートのフラットルーフに。そして作り出された2階は新たな家屋の敷地として売りに出され、同じプロセスが4~5階建てになるまで続きます。

このプロセスを影で支えているのが、様々な建設材料を一個、一本、一すくいの単位で小売してくれる Deposito de materiales と呼ばれる小規模商店です。これらのコミュニティーにおいてレンガを買う=日本でいうところの仕事帰りに缶ビールを買って帰る、的な日常生活の一部なので、Depositoはコンビニ的な位置づけでしょうか。そして、Depositoは単なる商業活動の場ではなく、近隣におけるコミュニケーションの場として機能しています。例えば家を建てたい家族と建設技術を持ったお兄さん方を結びつけたり、同業者同士情報交換をしたり、など、建設が生活の一部になっているからこその光景ですね。

今回のスタジオでは、このDepositoに着目して、公共のインフラとなるような建築(というよりはシステム)を考えています。ご近所の単位で情報や経済活動のハブとなっているDepositoをネットワークとしてつなげることで、メデジン独特のインフォーマルな経済活動をサポートするだけでなく、知識や技能を共有したり(教育)、個々人により広範囲での経済活動を可能にする(モビリティー)ことで、社会的な階層を這い上がる力と機会を労働階級に提供することができるのではないかという提案です。(working classとかdeprived population的な単語ををもう少しセンスよく訳せる人、教えてください 笑) まだまだスタディーが足りなくて上手く説明できないので、プロジェクトの詳細についてはまた次に書こうと思います。

ちなみに、市の中心部は完全に近代化されていて高層ビルがニョキニョキしています。メキシコでも感じたのですが、発展途上国、というカテゴリーは少なくとも都市部ではもはや当てはまらないですね。

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会期終わりそうなタイミングでいまさらですが(笑)。Japanese Junction展出展してます。いろんな国の学校の人たちの作品と並列で並べてみると、普段同じようなことを考えてる学校の中の人とのディスカッションでは考えないようなことが見えたりして面白いです。勉強になります。

詳しくは http://japanesejunction.jp/ より。

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9月から母校となるHarvard University Graduate School of Design (GSD)にて、合格者のためのOpen Houseがあるということで、旅行をかねて行ってきました。アメリカでは複数の大学院に出願することが普通なため、毎年この時期になると、学生を確保するため各大学が至れり尽くせりな説明会を開いてくれるわけです。ビールが振舞われたりします(笑)

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GSDは建築、ランドスケープ、そして都市計画+アーバンデザインの3学科からなるデザイン大学院で、それぞれの学科における専門的な研究はもちろんのこと学科間における積極的な知的交流のプラットフォームとして機能しています。それはプログラムのフレキシビリティーとともに(GSDではどの学科に属していてもすべての学科によって提供される20を越えるスタジオの中から興味にあわせて自由に選んで履修することができる)、この一体的なスタジオでみんなが同じ時間を過ごすことによって空間的に強化されているのではないのかなーと。

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Open Houseにあわせて、GSDの一年間を振り返る回顧展Platform5が開かれていました。GSDにおける建築、都市に対する多様な切り口が一堂に会していて、とても刺激的。

願書提出のプロセスはすべてオンラインであまり実感がなかったのですが、今回実際に訪れてみて是非ここで建築について考えてみたいと思いました。楽しみだー:)